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日 時 | 平成19年9月15日(土)・16日(日) | |
天 候 | 朝方晴れ、午後曇り時々雨 (気温:日中20度) |
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人 数 | 単独 | |
行 程 | 9/15: 前夜名古屋出発、あかんだなP仮眠 上高地-横尾-涸沢-奥穂高岳-涸沢 (涸沢ヒュッテ泊) 9/16:涸沢-奥穂高岳-前穂高岳-岳沢-上高地 |
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アルピニストの多くがそうであるように、私にとっても穂高には特別な想いがある。 今年の夏はちょこちょこと山登りをしたせいか、無性に穂高が懐かしなり、出掛けることにした。今回は、上高地から涸沢を経由し、奥穂高〜前穂高を縦走、その後岳沢に下るというオーソドックスなルート。 体調はすこぶる良好で、穂高を存分に満喫することが出来た。 |
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朝日のあたる焼岳山頂 | 朝靄に包まれる上高地 |
平湯のあかんだな駐車場は自動式の開閉バーになったにも関らず、何故か深夜2:30までは改札を通ることが出来ない。しかたがないので、改札付近に駐車し明け方まで仮眠をとった。 まだ紅葉には早いが、三連休とあって5:20の始発バスからほぼ満車状態で、そのほとんどは登山者である。 まだ陽の当たらぬ上高地に降り立つと、頬にあたる空気が冷たく、吐く息が白い。下界では考えられない気温だ。 梓川に出ると後方に朝陽に輝く焼岳、前方には朝靄に包まれた穂高連峰の全容が見える。何度も見てきたこの光景だが、いつも顔がほころび、胸躍り、思わず歩が早くなる。 |
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明神岳〜前穂北尾根の稜線を眺める 雲がはやく次々を表情を変える山並み | |
今回は小屋泊りのため荷物は軽く、また上高地の清々しい空気に心も軽やかで、横尾までの平坦な登山道を駆け抜ける。左手に見える明神岳、前穂高北尾根の峰々は、険しさと、美しさと、荘厳さを備えもち、正しく穂高への序曲に相応しい。 |
屏風岩でお約束の一枚 | 本谷橋から登りが始まる | 北穂高岳 東稜を眺める |
少しでも早く穂高の高みに辿りつきたい気持ちが強く、オーバーペースで本谷橋を通過。同じペースで歩く黒Tシャツの男性は、登山道に転がる石を登山道脇に寄せながら登っている。 その度に私が追い越し、また追い越される。顔を覗くと、やはり涸沢ヒュッテの方だった。 お互いにスピードを意識しながらしばらく登っていたが、やがて男性が振り向き、どうぞ先へ行ってくださいな、と声をかけてきた。 それを機に、自己紹介をして涸沢でアルバイトをしていた経緯を話すと、”どうりでねぇ”と納得がいった様子だった。 その後は私が先を歩くことになり、強烈なプレッシャーを感じながら、高鳴る心臓の音を聞きながら涸沢ヒュッテの小屋を目指した。 |
お盆を過ぎると、一気に秋山の雰囲気に様変わりするのが通常だが、今年の山はまだまだ夏山の色合いが充分に残っている。深い緑と稜線の白っぽい岩屑に強い陽射しがあたり、山全体が力強いエネルギーに満ちている感じがする。 涸沢はそんな山々に囲まれた素晴らしい場所。ヒュッテのテラスに腰をおろし、穂高の懐に溶け込んでいくのを感じる。 | |
涸沢ヒュッテの吹流しと北穂高岳南稜 | 石垣の上に立つ涸沢ヒュッテ |
今日の行程は奥穂高岳登頂後、奥穂高岳山荘へ泊まる予定であったが、明日の天気が悪く、雨の中の前穂高岳への縦走、岳沢への下山に不安を感じ、奥穂高岳をピストンして、涸沢ヒュッテに戻ることを考えた。 となれば、あまりゆっくりはしていられない。再び靴紐を結びなおし、ヒュッテを後にした。 パノラマコースは通らず、涸沢小屋からガレ場を登る。前穂北尾根の岩峰が雲の切れ間に見え隠れしている。 ザイテンの取り付きからみる、涸沢ヒュッテはミニチュア模型のように小さく、穂高のスケールの大きさを実感する。 ザイテングラードに入ると、ちょっとした岩場の連続となり、ハシゴやクサリも登場しアルペン気分が高まる。残念ながら、周りはすっかり曇に覆われ、穂高の雄姿も雲の中。 奥穂高岳山荘に着くと飛騨側からの風に吹かれ、瞬く間に汗もひく。 |
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カールの中にポツリと見える涸沢ヒュッテ |
まだ青々としているナナカマドと前穂高 北尾根 | 高度を上げると常念岳の全容が望める |
奥穂高岳山荘は、初めての登山で宿泊したきり、一度も泊まったことがない。 玄関の左側に炊事可能な休憩所、右側は宿泊者用のパブリックスペースとなり、使い込まれたストーブの周りに木製のデッキがおかれ、部屋の隅にはゴージャスなステレオが設置されており、まるでリゾートホテルの一角のようだ。ゆっくり泊まってみたいと思う。 ウィンドブレーカーをはおり、奥穂高岳へと最後の登りに取り付く。 いきなり垂直な岩場の登りに、少々ビビりながらも、久しぶりに味わう鋭い岩の感触に気持ちが高揚してくる。 |
涸沢には度々足を運んでいるが、奥穂高岳の山頂に立つのはなんと9年ぶり。久しぶりの登頂だ。 山頂は静かなもので、私を含め身軽な単独行の登山者2・3名しかいない。 しばらくすると、雲が切れてジャンダルムの険しい峰が姿を現した。 切り立った岩峰は黒々とし、まるで悪魔の住む館のような怪しい雰囲気を醸し出している。臆しながらも登りたいと思わずにいられない。 |
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奥穂高岳山頂の祠 | 雲の切れ間から姿を見せるジャンダルム |
見え隠れする稜線上に、登山者がポツリと現われ、みるみるうちに近づいてきた。 この稜線を奥穂へ向ってくるということは、西穂高から縦走してきたに違いないのだが、ハット帽にラガーシャツの男性はまるでハイキングでも楽しむように山頂にやってきた。 思わず、”どこから来たのですか?”などとバカな質問をしてしまう。 西穂高岳山荘からなんと6時間で奥穂まで縦走してきたその方は、”なかなか登り応えのあるルートだったよ””地図のコースタイムはオーバーだよねぇ”などと飄々としている。カッコいいなぁ〜! 次は、紀美子平方面から登山者が現われる。この方もツワモノで、日本三大急登の一つである岳沢を登ってきた上に、これから涸沢経由で徳沢まで下るという。もうほとんど山岳レースのようだ。 私は涸沢へ下る決心をして、再びザイテンを引き返す。今朝上高地で一緒だった団体の登山客とすれ違いながら、年配登山者のその体力に舌を巻く。高低差1500mを1日で登るのは健康な若者でも結構大変な運動量である。 舞い戻った涸沢は登山者で溢れかえり、満館とのこと。 生ビールを飲み干して一休みした後、一宿一飯の恩義を果たしに厨房へ向った。 |
翌朝は予想外の晴天で、モルゲンロートの山々を楽しむことが出来た。 このまま上高地に下る予定を変更して、再び奥穂を目指す事にした。 好天は午前中しか期待できない。あわてて身支度をして涸沢を後にする。どこからともなく湧き上がる雲に急き立てられながらコルを目指し、山荘で前穂高岳のバッチを購入すると、早速奥穂高岳へのクサリ場に取り付いた。 稜線へ出ると飛騨側からの強風に体が煽られる。山頂手前ですっかり雲に包まれ、視界は閉ざされてしまった。 登山者で賑わう山頂を素通りして、紀美子平へと向う。 ほとんど飛騨側に登山道がついているため、常に吹き上げる風を受ける事になり、疲労感が倍増する。最低鞍部までの下りは、逆スラブ状の一枚岩をクサリに伝って降りたり、長いハシゴを下ったりと、気が抜けない。時折覗く岳沢への斜面は、ほぼ真下で、急峻な斜面をトラバースしていることを思い知り緊張感が増す。視界の悪い中、一人ぼっちの縦走は非常に不安だ。 約1時間ほどで紀美子平へ到着したが、とても時間が長く感じた。 紀美子平にザックをデポして前穂高岳へ直登する。 悪い事に雨が降り出し、濡れた岩場に慎重に足を置く。下山が気が重い。 前穂高岳山頂は私の貸切だった。こちらも実に12年ぶりの登頂だ。あの時、北尾根を登り辿りついた山頂は、達成感というよりはほとんど安堵感しかなかったような気がする。初登頂の感動を取り戻すかのように、思い出にふけってしまった。 紀美子平までもどると雨も本降り。一番、降られたくない場所で雨に当たるとは・・・。 岳沢への下りは、その斜面を見ての通り、細い尾根にまるで落ちるように登山道が付けられている。始めにクサリ場やハシゴがあり、ザレ場をジグザグに下る。 |
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奥穂高岳への最初の取り付き 槍の穂先ではありませんっ |
岩屑の山頂にて一人想いに更ける | 重太郎新道から遠く上高地が見える | 岳沢から天狗岳を望む |
またしても上高地から一緒に出発した団体さんに遭遇。今朝は朝一番で奥穂高岳へ登頂し、すばらしい眺望を楽しむ事が出来たと聞かされる。きっと槍ヶ岳から立山方面まで、大展望だったことだろう・・・。 まぁ、いいさ。 私が愛して止まぬ涸沢で一晩を過ごせたのだから。と、 負け惜しみを独りごちて先を譲ってもらった。 岳沢ヒュッテは昨年の悲運を乗り越え、今年は簡易的な売店営業をしている。 ここまでくると、雨もすっかりあがり青空が広がった。西穂高岳稜線もくっきり見え、ニョッキリと斜めに突き出す天狗岳がなんだか生き物のように見える。 あと1時間も歩けば上高地だ。穂高とのお別れも近いと思うと、名残惜しく何度も何度も振り返ってしまう。 そこには、まるで次回への餞別のように、一切の雲は切れ、穂高が両腕を広げて抱きかかえてくれるかのような情景が広がっていた。 |
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重太郎新道から奥穂南壁 スケールの大きさにたじろぐ |
こんなにも私の心を捉えて離さない穂高とはいったい何だろう。 そして、倒れるまで歩きたいと思わせる山登りとは何だろう。 出るはずもない答えを探しながら、残りの登山を惜しむように上高地へと歩いた。 (報告者:A) |