※文字サイズは小にてご覧下さい |
|
留意点(気づいたこと) | ||||||||||
・10月に入ってからの稜線歩きは雪を前提にした装備が必須。 ・東沢乗越から餓鬼岳稜線は岩場あり、ハシゴあり、と変化に富んで います。技術的には問題ありませんでしたが、思いのほか時間がか かります。 ・中房温泉から餓鬼岳までは水場がありません、登山口で確保必須。 ・紅葉は中房温泉から合戦尾根第一ベンチ辺りまでが見頃でした。 ・東沢は電波が悪く、携帯電話の使用が出来ませんでした。 ・水の料金:餓鬼岳1L/\300 燕岳1L/\200 |
|||||||||||
コースタイム | |||||||||||
注意:上記ペースはガイドブックなどのタイムよりかなり早めです |
1.今年最後の北アルプスへ | |
10月に入ると3000m級の山々に初冠雪とのニュースが下界に届いてくる。山小屋では小屋閉めの準備に忙しくなり、夏の賑わいが嘘のように訪れる登山者も少なくなる。静かな北アルプスを楽しむにはこんな時期が狙い目である。大好きな燕山荘のテラスでのんびりしよう!と計画した今回の山旅だったのに・・・、いつものことながらのんびりするどころか、かなりハードな山行となってしまった。しかしながら秋たけなわの中房温泉、バラエティ豊かな餓鬼岳稜線、雪景色の北アルプス連峰の展望、今年のラストアルプスを飾るにふさわしい山行だった。 |
2.東沢の急登にバテバテ | |||
|
中房温泉までの林道は色とりどりの紅葉樹に包まれ、助手席に座る私は運転手に遠慮することなく、歓喜の声を上げる。谷の間から垣間見る稜線はすでに雪化粧していて、ザックに入れてきた防寒着に不安を感じる。中房温泉は昨年訪れたときよりも道が整備されていて、タクシー乗り場は小さなロータリーが誕生している。合戦尾根への登山口を通り越して、中房温泉旅館に向かい橋を渡る。旅館手前の河原へ降りる階段が餓鬼岳への登山口だ。合戦尾根と違い、餓鬼岳稜線までは東沢沿いの谷歩きとなる。 パートナーの小泉氏は11月のフルマラソンに向けてトレーニング中の身、体重も絞り下半身もバッチリ鍛えあげられている。そして、彼の試したがりな性格が生み出した「バテない武器」は”バーム”、かの有名な高橋尚子が宣伝している飲料水である。テントニ泊に冬装備という重い荷物の上に、スチール缶のバーム4本を入れていくのだから、その信仰(あ、失礼。その効果)たるもののすごさがよく解る。かたや私は最近トレーニングはサボり気味、そしてバームに対抗するものは飴玉ぐらいで、最初から先行きは不安だったが・・・。 東沢登山道はきちんと整備され、所々に目印も設けれて安心して歩いてゆくことが出来る。始めは傾斜もゆるく紅葉を楽しみながら登っていたのだけれど、しだいに先を行くパートナーの姿が見えなくなった。ブナ平(小さなベンチの置いてありました)を過ぎると東沢を何回か渡り歩くのだが、ガイドブックで「増水時の通行注意」と書いてある所以はここにあり、勢い良く流れる川に一歩を踏出すには勇気がいる。どこから渡ろうかとウロウロしているのを見かねて、小泉氏が手を貸してくれた。 |
||
西大ホラ沢(看板あり)を過ぎると沢もなくなり傾斜がグンと増して右手には東餓鬼岳の稜線が、左手には燕岳稜線が壁の様に立ちはだかっている。同行者に置いていかれる山行などあまり経験したことのない私は、いつもなら登っているあいだ中ほかごとを考え、空想の世界を楽しんでいるというのに、今は焦りや悔しさや不安の中にあり、ただただ自分の荒い息遣いが聞こえてくるだけの辛い登りだった。そして途中の登山道に落ちていた小泉氏のストック、もちろん落としたのではなく、私のために置いていったのだ。ありがたいとは思いつつ、なんだかハンデを貰ったみたいで、ちょっと悔しかった。トレーニング不足で一番堪えているのは、どうやら心肺機能よりも脚力で、足がズンと重く疲れが感じられた。後は軽い脱水症状とシャリバテ、低血糖には飴玉が効果覿面で、口に入れた瞬間に糖分が体中にしみわたるような感覚を味わう。脂肪がエネルギーに換わっているな〜、とか水分不足でむくんできたな〜、とか汗に塩分が多いな〜、とか自分の体とじっくり向き合っている時間というのはこんな時ぐらいだろうか。 ジグザグの急登をようやくクリアすると東沢乗越、小泉氏が待ち構えているものと思いきや、姿が見えず唖然!とするが、さすがに少し先から声が聞こえてきた。どっかりと腰を降ろしてお茶をがぶ飲みする。落ち着きを取り戻してふと顔をあげると、遠くに野口五郎岳・水晶岳などの稜線が見え、ぐるりと見渡すと燕岳稜線上に赤い屋根の燕山荘までが姿を見せている。さあ、ここからは稜線歩き、持参のおにぎりを頬張って気持ちを切り替える、今度は置いていかれないぞ!! |
3.驚きの空中ハシゴ渡り | |||||
東沢岳までは緩やかな傾斜が続き、しだいにハイマツ帯となり展望が開ける。登山道を外れ直登すると東沢岳の山頂に立つことが出来る(道標はない)。すでに東沢乗越ははるか下にみえ、北燕岳がその向こうに高く聳え、明日の乗越からの登り返しが思いやられる。遠くには立山連峰、剣岳が雲海から頭をのぞかせていた。真っ青で深い秋空、うっすらと白く染まる稜線、眼下には色鮮やかに紅葉した樹々に包まれる高瀬ダム湖が静かに佇んでいる。あ〜、ここでのんびりくつろぎたい・・・、と思うのだが目的の餓鬼岳小屋まではガイドブックによると約4時間、急がなければ日が暮れてしまうような時間だ。
花崗岩の岩場をせっせとこなし、2508mの小ピークに近づくと燕岳稜線の向こうに槍の穂先が顔を出しだ。剣ズリと呼ばれる突起した岩の塊が間近に見え、それを越えれば(直登せずに東側の巻道を行く)餓鬼岳小屋はすぐそこ、なのですが・・・! 痩せた尾根を下ると、大きな岩に前方を阻まれ「←登山道」との指示が看板に標されている。樹林帯の登山道は道幅が極めて狭くトラバース気味なので、うっかり滑らない様に注意しながら通行する。中でも、巻道の始まりに通過する大崩壊地は、傾斜がきつく足元からザラザラと落ちて行く砂を見ているだけで怖くなる場所だ。
さて、ここからがこのルートの醍醐味といっても良い。持参した登山地図には確かに「ハシゴ・桟道多い」と書かれているのだが、距離にして500m弱の登山道にこの類のものが次々と20箇所以上、しかも恥ずかしながら"桟道"の意味を知らなかった私は岩壁と岩壁の間に掛かった空中ハシゴを見たときに、なるほど、ハシゴとの違いを |
|||||
認識した。この桟道はその場に立ってしまった方が怖くないのだが、正にサーカスのよう、また、アクセサリーの様な細〜い鎖が手の届かないところに冗談みたいに張られている。よくもこんな登山道を作ったものだと感心する。北斜面では積もった雪が解けずに残っていたが、程よく締まって却って足元が安定した。始めはサーカス体験を楽しんでいたが、これでもか、というくらいに設置されているハシゴ類に少々閉口し、それにだんだんと暗くなっていく足元に気持ちが焦る。餓鬼岳小屋近くで一旦大きく下り、樹林帯を登り返すとようやく砂礫帯の緩やかな登山道となり、ホッとする。あんなにもバテた東沢の登りが嘘のように、飛ぶように歩く自分が信じられなかった。小屋手前の窪地に設けられたテント場についた頃には西の空もすっかり暗くなり、代わりに私達を照らしていたのは月明かりだった。 |
|
4.珍しい無風キャンプ |
稜線でのキャンプで一番嫌なのは風。どんなに気温が低くなっても、風のある日とない日ではその体感温度は全く違う。それに突風でテントがバタバタとゆすられるのはたまったものではない。とはいっても、高山の稜線で風の無いキャンプなど期待するほうがおろかなのであって、今回の様にフライがパタリともいわないのはむしろ気味が悪いくらいだ。お陰でフリースを羽織れば寒がりの私でもしばらくの間、外の景色を楽しむことが出来る。残念ながら月明かりで星はあまり見えなかったが、山々が黒光りして見え、眼下には穂高町の灯りが宝石のように輝いていた。 四苦八苦しながらテント内で焼きビーフンと汁ビーフンをたいらげ、今日の山行の珍道中を肴に一杯。小泉氏はトレーニングの成果とバーム効果に大満足、私は自分の体力よりもメンタルな部分での弱さを認識した。私にとって不安は大敵、楽しい山歩きのためにはやはりセオリー通りの早出早着登山が望ましいのだと反省。しかしながら体力には自信のある私と、いつも焦らず(正確かどうかは解らないけれども)判断力は鈍らない小泉氏とは名コンビなのかもしれないとつくづく思った。 |
5.半袖一枚の稜線歩き |
|
||||||
あっという間に日は高く上りジリジリとテントの中まで焼き付けてくる。冷たい朝の空気と照りつける太陽の光が実に気持ち良く、ウトウトとまどろんでしまった。半袖一枚で寒さを感じないでいられるのは、夏山でもあまり無いことだ。さあ、今日も気持ちのよい1日となりそう。テントを乾かしている間に餓鬼岳山頂を往復する。燕岳稜線からは槍・穂高までが見え双眼鏡で覗くと北穂小屋が岩壁の上に危なっかしく乗っかっているようだ。その向こうには笠が岳稜線、双六岳へと繋がり東鎌尾根が槍ガ岳まで伸びている。一つ一つを歩いてきたんだな〜、と毎回のことながら感慨深い。そして北側には立山連峰雄山の祠が肉眼でも認識でき、向かいに針ノ木岳、爺ガ岳、そして鹿島槍ガ岳へと続いている。昨夜の宝石達は蓋を閉じられた様に雲海が覆っている。その向こうに浮かんだ平べったい雲は、浅間山から立ち上る煙の塊だった。 |
|||||||
乗越からの登りは相当の覚悟が幸いしたのか、あまりつらく感じず樹林帯を順調に高度を上げていく。傾斜が緩くなり振り返り見る東沢岳が同じ目線に見えてくると、花崗岩の滑りやすい急斜面に取り付く。遅い時期まで残雪あるそうだが、今回は残雪ではなく、新雪がうっすらと張り付いていた。最後はジグザグに歩きながら稜線にポンっと出る。そこはすでに燕岳稜線らしいビーチかとも思えるような砂礫帯だ。しばらく腰を下して、餓鬼岳からの道のりを満足げに眺めていた。燕岳特有の風化した花崗岩のオブジェをいくつも通りすぎ燕岳山頂へ、いつもなら賑わうこの場所も今日は貸し切り。白い砂礫と緑のハイマツのコントラストが美しいこの景色はこの燕岳の魅力の一つ、どんなに写真が下手でも絵葉書のような一枚が撮れてしまう。石に「燕岳」と刻まれただけの品の良い山頂で記念写真を撮ると一目散に小屋へと駆け出した。 |
|||||||
|
5.くつろぎのサンルーム | ||||
さて、こんなにも誉めておきながら私達は宿泊せずテント泊なのですが、テント泊の登山者にとってもここはすばらしい山小屋なのです。まず、小屋内施設のサンルーム(喫茶室)の利用が常に出来ること(当たり前のようですが、山小屋のなかには、宿泊者以外の館内施設はお断り、または入れないところだってあるのです)、赤沼氏のお話(今回は不在のため、過去のビデオ放映)が漏れなく聞けること、館内での自炊が可能なこと※(木造がほとんどである山小屋は、屋外での自炊があたりまえで、良くても土間の使用です)、後は館内トイレが利用できてしまうこと(屋外にテント専用のトイレがあり、そこを使うのが常識的ですが、「注意!トイレは宿泊者のみ利用して下さい!」などという野暮な張り紙がしていないのです、なんだか思いやりを感じる)。と、くどい様ですが、サービス満点だから素晴らしいと言っている訳ではなく、餓鬼岳小屋のように、ぼくとつとした無口な山男がいて、破れたスリッパが糸でくくりつけてあって、ボーっと薄暗い小屋のどこからか無線で連絡する声が聞こえてきたりするのは、それなりに深い感動があるわけです。 そうゆう訳で、私達は到着後、今回もフロントスタッフの気持ちの良い接客を受け、サンルームにてビールを飲み、テントで夕食をとると、また小屋に戻り、赤沼氏のビデオのお話とサンルームに流れるセンスの良い音楽を聴きながら、チーズとパンをつまみに赤ワインを飲み、窓ガラスの向こうに見える穂高町の灯りを見て、山旅の思い出に酔いしれていたわけである。天上の空間で良きパートナーとおいしいお酒とつまみ、心から幸せを感じる一時だった。 |
6.下界までジェット下山 | ||||
この合戦尾根、整備も行き届き、しかも段差のない花崗岩の滑り台のような登山道であるため、小股でササササッと下りだすと止まるところがない。どんどん勢いがついて木道の階段も飛んで降り、スキーでコブ斜を滑るときのように、目線は数メートル先の足場を探しながら華麗に降りていく。都合よく、すれ違う登山者も少ないので勢いが衰えることがない。次から次へとベンチを通過して足元の落ち葉が多くなってくると第1ベンチ、そこからは紅葉のトンネルを駈け抜け登山口に到着。前回にも勝るジェット下山だ。決して自慢できる記録の類ではないことは承知の上だが、これはこれで集中力もかなり高まりボケーっと下ってくるよりは安全だったりするかもしれない(まあ、つまずいた時には大惨事になる可能性が高いと思うのでやめた方が良い)。 中房温泉の紅葉は一昨日よりもさらに艶やかになったように感じる。大きなザックを背負い汗だくで降りてきた私達は、ここまで紅葉狩りにやってきた観光客から羨望の目を向けられ(?)、ちょっとばかり得意げだ。最後の締めはもちろん温泉、町営有明荘の湯気の立ち上るお風呂に浸かりながら、心身ともに染み渡る幸せを感じるのだった。 (報告者:A) |
||||
※持参した登山地図は昭文社の「山と高原地図36 鹿島槍・五竜岳」です。 ※燕山荘での施設利用については(館内の自炊など)、念のため小屋スタッフに確認下さい。 |
ナイフショップ:アウトドアクラブ